「数学が得意」というと、周りから「数学が得意な人は頭がいい」という意見から「数学が得意な人は頭が固い」「数学が得意な人は変人が多い」とあらゆる意見を耳にする。
これらに共通しているのは「数学という学問は、他の学問と比べて少し違う」と思われている所である。
これは全くの誤解と思って間違いはない。生物学者、物理学者、科学学者、歴史学者・・・
どれをとっても、やっている事は「自然の探求」ただそれだけである。
法律学者、政治学者、哲学者・・・
どれをとっても、「人間という集団の行動のあるべき姿の探求」である。
そして、すべてに共通しているのは
「論理的である」という事だ。
すべての思考には妥当性が保証されるべきである。
すべての事象には、すべての人間を納得させるだけの理屈がなければいけない。
こういった
「妥当性の保証」の学問こそが、「数学」であると私は思っている。
決して、自分が好きだから言っているわけではない。
何故なら、数学においてある問題が証明されたとする。
その証明は間違っていなければ、全ての人間を納得させれるモノだ。
ある人間が「その証明は自分とは違う、おかしい」という事はできない。
もちろん、「すべての人間を納得させれることが証明」という言い方もできる。
これは「妥当性の保証」そのもではないか。
ビートたけしは、今「奇才」「天才」などと言われて久しい。
元々、風刺を混ぜた辛口なお笑い芸人でありながら、芸術、学問などのあらゆる好奇心を刺激する番組の数々を製作している。
そんなビートたけしは以前、外人100人と「文化の違い」から人間のモラルを探る番組の中で、出演したある少女から質問された。
「数学なんか学んで何になるの?」
それに対して、ビートたけしは
「世の中の全ての現象は数学に支配されており、数学で説明できる」
と言った。誤解してはいけない。
「世の中の全ての現象は数字に置き換えられる」という意味ではない。誤解されているからこそ、「数字で比較されてたまるか」とか「数学なんかでは解決できない」と反論されるのである。
あくまで、「すべての現象は、論理的に説明されるべきである」という事である。
ただ、それ扱う人間に知識が足りないだけなのだ。
「数学なんか学んで何になるの?」
「数学なんか習っても役に立たない」
という人に逆に「何だったら役に立つの?それは何故?」と聞くと恐らく
「言語学。色んな人と話ができるから」
「人間関係。人は一人で生きていないから」
色んな意見が聞かれるだろうと思う。
「言語学が役に立つ」と思って、それに没頭し邁進してくれれば、それは人間にとって進歩である。
「人間関係を学ぶ事が一番大切だ」と思って、心理学を学び、人間行動に新たな発見してくれれば、それも人間にとって進歩である。
そういう行動は、まさに数学的論理思考そのものだと考えられる。
こういう事を書くから「数学が好きな人間は変人」と言われたりするんですが・・・
今回は何か話だけになってしまいましたが、次回からはまた数学の問題を解いていきたいと思います。